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40代サラリーマンです。40代のからの学びや体験、悩み、子育てなどを主に綴っていきます。読者の方の学びや気づきのお手伝いが出来たらと思います。

シェル・シルヴァスタイン作 村上春樹訳 「おおきな木」について

 こんにちはyasuです。

 

今日は子供に読み聞かせるために読んだシェル・シルヴァスタイン作、村上春樹訳の児童文学「おおきな木」について書いてみたいと思います。

 

 

この本は1964年に出版され、ほんだきんちろうさんの訳で出ていましたが、最近では村上春樹さんが訳されて話題になりました。

 

表紙は緑で少年と木のイラストが描かれており、書店で見かけた方も多いのではないでしょうか。

 

絵は白と黒の線で書かれていてシンプルで見やすいです。しかし物語は難解で非常に考えさせられます。

 

 

どんな作品

 

あるところに大きなりんごの木があり、その木は、毎日遊びにくる一人の少年の事が大好きでした。少年も木が大好きで、木はとても幸せでした。

 

月日が流れ、少年は大人になっていき、木と遊ぶ事は減ってゆき木はさみしくなります。

 

ある日、大きくなった少年が木を訪ねてきます。木はうれしくて、昔のように遊ぼうといいますが、大きくなった少年は遊ぶお金がほしいといいます。木はお金はあげれませんので、代わりにりんごの実をもっていくように伝えます。

 

やがて大人になった少年は家がほしいと言ってきて、木は枝をあげます。年老いた少年は船がほしいと言ってきて、木は幹をあげて、木はとうとう切り株になってしまいます。

 

木は幸せだったのか

 

 この物語の重要なテーマは木は幸せだったのかという所です。

 

大好きな少年を喜ばせるためにりんごの実をあげて、しあわせな気分になり、枝をあげて、しあわせな気分になり、最後は船を作る為に幹もあげて、自分自身は切り株になってしまいます。この時は木は初めてしあわせな気分になれませんでした。

 

最後に年老いた少年がもどってきますが、木はもう何もあげれる物がありません。

 

しかし、年老いた少年には欲しいものありません。体を休めるのに腰をかける場所がほしいといいます。木は切り株は腰をかけるのにピッタリだといいます。年老いた少年は木に腰をかけて、木はしあわせになります。

 

この話は、よく母と子どもの話に例えられます。木が母親で少年が子供です。母は子に尽くし、無償の愛を与えて、どこにも行かさずに二人の世界を気づこうとしますが、子供は成長して母親のもとを去ってしまいます。

 

木は与えている時にしあわせな気持ちになりますが、少年に船を作る為に幹をあげた時初めてしあわせになれませんでした。私は最初に読んだ時は切り株になったから木はしあわせになれなかったと感じましたが、何回か読んでいるうちにそうではない事に気づきました。

 

木は少年が去っていって、少年がそばにいる事が大事だと気づいたのではないでしょうか?少年が遠くに行き、そばにいない事でしあわせを感じなかったのです。

 

木は少年に物を与えている時は必ず「しあわせにおなりなさい」と言っています。しかし最後だけは「ゆっくりおやすみなさい」と言っています。これは少年に出来るだけ長く、そばにいてほしいと木が少年に伝えているのだと思います。最後に木は少年がそばにいることでしあわせになったと思います。

 

まとめ

 

 この本の感想を私なり解釈しましたが、読む人によってはまったく違った感想を持つ事もあると思います。私の感想も時間がたってから読むとまた違った物になるかもしれません。でもそれがこの本の魅力だと思います。

 

最初子供の頃に、この本を読んだ時は少年がすごく嫌でした。木の愛情に感謝するわけでもなく、次から次へと木に物をねだり、木が自分自身をすり減らしていく場面を見てすごく悲しくなりました。でも大人になって息子とこの本を読むと、親目線で読んでいるせいか少年が前ほど嫌に思えなくなりました。

 

このように読む年代や人によって解釈が色々出てくる名作中の名作「おおきな木」あなたは読んでみてどのような感想をもつでしょうか?

 

ではまた。